『車輪のうえ』

車輪のうえ(14)

郵便局員の女の子に優しくされて調子を取り戻したぼくは、快調に自転車をとばすことができた。ところが道標は乏しく、テンションが上がったのも束の間、あっけなく道に迷う。 迷う、というよりは自分の現在位置に自信がもてず、不安にかられている状態といっ…

車輪のうえ(13)

もっと単純な世界の見かたで生きられたら、と思う。 善意は善意のままで、悪意は悪意のままで。与えるときは、虚飾を加えず、受けるときは、その裏に潜むものを詮索せず。素直に怒り、素直に愛し。それがときに、ひとを侮辱したり、肉体的に、あるいは精神的…

車輪のうえ(12)

朝から雨が降っている。 スコールというわけでもなさそうで、しばらくのあいだ降りそうだったので、けっきょく雨があがるのを待つことなく、8:00過ぎには宿を出る。すぐに激しい雨。少し走ると雨は止んだが、またいつでも来そうな予感。変わりやすい天気とい…

車輪のうえ(11)

7:15にポート・ディクソンのユースホステルを出る。前半は高原めいたところを走るが、大型車両が多いうえに道が狭く、ストレスフルな道。後半はただひたすらの直線で退屈極まりない。自転車は慣れてくると、乗りながら休んだり、退屈したりできるようになる…

車輪のうえ(10)

この日の目的地、ポート・ディクソンというところは、人工の白いビーチだという。海派か山派か、と問われれば、迷わず「中とって陸派!」と答えるぼく(エクストリームな環境は苦手なチキンなので)には、「白いビーチ」は大して魅力的ではない。しかも人工…

車輪のうえ(9)

いまのところ、しっかり生きている。そりゃそうだ、たいしたことは、まだなにもしていない。 バトゥ・パハからムアルを経てマラッカに至る2日間は、日に50キロ程度の走行だったが、相変わらず暑さには慣れず、すぐグッタリする。スコールも多く、そのたびに…

車輪のうえ(8)

熱帯(亜熱帯もそうかな)の家屋には、守衛が棲みついている。突然、キュキュキュ!と鳴いて、朝には黒い小さなフンを置いていくだけだが。「夜漏り」とはよくいったものだ。 日本の自分のイエにいたらうっとうしいかもしれないが、旅先で寛容になっているのか…

車輪のうえ(7)

ぼくが笑顔を返すと、バイクのオヤジは、はにかみ気味に走り去っていく。かわりにぼくが赤いイガグリを後ろにのせて走る。 自動車のクラクションは、少なくともこの文章よりもうまく感情表現をする。自転車ツーリングが珍しいのか、外国人が珍しいのか、かな…

車輪のうえ(6)

ムスリムの国である。薄明のなまぬるい空気に、街のスピーカーからムカデのように文字が這い出てくる。夜中、蚊の羽音に苛まれた身としては、またムシかよ、という気分になる。この国の朝は、コーランで始まるのである。このムカデがうっとうしかったのは、…

車輪のうえ(5)

長い旅の途中にある者には、帰る場所はない。 帰る場所すら一時的に棄て(なかば意図的に棄てているのだ)、ここに来ているのだから。あるのは、世界とぼくと、世界とぼくとの両方から逃げるための、一時的な寝床だけだ。ベッドのうえでだけ、すべてから逃げる…

車輪のうえ(4)

マレーシア南端に位置する都市、ジョホール・バルへは国境にかかる橋を渡る。 どうやら道を間違えたらしく、自動車専用の道路に来てしまった。暑くて引き返すのも面倒だったので、そのまま橋にある出国審査のゲートに突入。ダメだといわれたら、やり直せばい…

車輪のうえ(3)

シンガポールでは2泊。 到着の次の日は、ざっと街中を歩いて散策し、かのマーライオンを見にいったり、地図を買ったりした(マレーシアの地図は日本で購入していたが、タイの地図は現地調達)。地図を買ったのは、キノクニヤ書店だった。 歩き回っているだけ…

車輪のうえ(2)

シンガポール到着が昼間であれば、空港で自転車を組み立て街まで出ようと思っていたのだが、夜だったのでタクシーでホテルまで行くことに。空港にはタクシー乗り場があり、ベルトコンベア式に並ぶ車両に選択の余地もなく順に乗り込む。 ぼくはどこへ出荷され…

車輪のうえ(1)

人間というものは、より大きな危険を怖れているときには、いつでも、より小さい危険のなかへ踏み入る勇気をもつものである、ひとつの危険を無限に怖れるときには、その他のもろもろの危険はまったく存在しないも同然である。 S.キルケゴール『死にいたる病』…