アウトプットを怠るとへこむほど言葉が痩せていく

久しぶりに投稿する。

 

前回のアップは2023年の1月にあげたもので、それっきりということになる。いいわけではないが(そもそも誰にいいわけする必要があろう)、直後に娘が生まれて、けっこうこういうパソコンに向かう活動がなくなってしまっていた。

 

仕事ではもちろんテキストを書くことは書くが、(職種にもよると思うが)ビジネスメールは簡潔明瞭であることを持って良しとされるカテゴリであって、もちろん自分なりの文体めいたものはあるが、そこで交わされるバリエーションはそれほど多くなく、けっきょくはいくつかのパターンに収斂してしまう。

 

なので、自分の場合、語彙や表現のバリエーションは、プライベートでのインプットとアウトプットそれぞれを継続することで維持されていたのだ。とくにこの1年で痛感させられた。

 

ふつうに会話をしていても、言葉が出てこない。歳のせいもあるかもしれないが、瞬発力が明らかに衰えているのがわかるし、「熟考」の末に出てくる言葉も陳腐だ。

 

娘の相手をしているのは、疲れるが楽しい。楽しいが疲れる。

 

集中力の乏しい自分は、娘が昼寝する束の間とか、妻が娘の相手をしている間を有効活用できない。インターネットをダラダラ眺めてその貴重で短い時間は終わる。娘が寝たら、またダラダラしてしまう。娘は朝6時には起きる。自分だけの時間を作ろうとしたら5時には起きないと。

 

子育てとランニング習慣の維持とか、いろいろ書きたいことがある。おっと、娘を風呂に入れる時間だ。では、また今度。