車輪のうえ(7)

 ぼくが笑顔を返すと、バイクのオヤジは、はにかみ気味に走り去っていく。かわりにぼくが赤いイガグリを後ろにのせて走る。

 自動車のクラクションは、少なくともこの文章よりもうまく感情表現をする。自転車ツーリングが珍しいのか、外国人が珍しいのか、かなりの数のクルマが、あいさつや罵声や冷やかしなんかをおいて過ぎ去っていく。なんとなくだけど、好意的なものが多いような気がする。旅の不安なところはあいかわらず拭えないが、少しほっとする。

 昼前には目的地に到着。自転車は速くはないけど、けっして遅くない。

 到着後すぐに宿を探すのだが、道に座っているおっさんに聞いても相手にしてくれないし(現地語をしゃべれないぼくが悪いのだが)、まあいいや、まだまだ時間はある、ということでとりあえずメシを喰う。午後を使って、次の目的地へも行ってしまおうかと考えたが、そこは用心、用心、とくに今はまだあらゆるものに慣れていないのだから、無理はしないようにしよう。

 次へ急ぐ気持ちと、それをおさえる気持ちとの葛藤は、この後もぼくを苦しめることになる。勇ましさは無謀さの危険を併せ持っているし、慎重さは臆病と紙一重、いや、ものごとの両面だから。結果はどうあれ、自分の選択に自信をもって判断すればいいし、うまくいこうと手痛い失敗をしようと、その分析をしたらあとは振りかえらない。

 とわかっていても、現に判断を迫られる個別の具体的な状況では、なにやら真理めいて説教臭いその認識は、なんにも役に立たない。そんな場合は、できるかできないか、という判断基準は棄ててしまって、するかしないか、だけで済ませるようにしたい。というのが、現在まで続く(つまり今でもうまくできてない)ぼくの後ろめたさをともなう目標である。

 メシを喰って、あたりの若い中国人系の男(高校生くらいかな)にホテルのありかを聞くと、とても好意的で、すんなり案内してくれた。マレーシアはかなりの人間が英語を解する。部屋や水回りをチェックして、ここに決める。このホテルは2階にあるので体重のあるぼくのパートナーを階上まであげてあげなければならない。

 こんなに暑い気候ではぜったい必要であろう昼寝をして、夕方から街をブラつく。ここは観光地ではない。ふつうのスーパーで買物をする。当たり前だが、そこには日常がある。非日常なのはぼくだけだ。