車輪のうえ(9)


 いまのところ、しっかり生きている。そりゃそうだ、たいしたことは、まだなにもしていない。

 バトゥ・パハからムアルを経てマラッカに至る2日間は、日に50キロ程度の走行だったが、相変わらず暑さには慣れず、すぐグッタリする。スコールも多く、そのたびに靴が水浸しになり、指の間がヌルヌルする。親指と人差し指の滑らかな摩擦を確かめながら、あー、足、臭そう、と臭気をぼんやり想像する。

 砂粒が間に入る。その乾いた感じが、いくぶん清潔さを感じさせる異物感とともに指のマタに転がる。暑さでボーッとする頭に、ゆいいつただその瞬間のみの、生きている実感を与える。

 道ばたで轢かれて死んでいる動物は多い。オオトカゲ(種類は分からないが、全身にスポットが入っている。おそらくミズオオトカゲだろう)、南米のアナコンダとともに大蛇として知られるアミメニシキヘビ、カエル、ネコなんかが道ばたの草むらに転がっている。

 かなりの長時間放置されているからだろうか、ほとんど乾いた骸だ。これからどこかにくだけて飛んでいって、「風化」するのだろう、文字通り。名前など、一時的な生きているあいだだけの、借りものに過ぎない。

 1日50キロ程度の道のりだと、暑い時間帯を避け朝早く出発して、遅くとも昼には目的地に到着する。宿に自転車を置いて、街をぶらつくという行動パタンになる。

 マラッカは日本人の観光客も多いのだろう、日本語の看板も見受けられる。インターネットカフェもあったが、ぼくが入ったところは日本語の入力ができなかった(あるいは入力のしかたを知らなかった)。家族にでもメールをしようかとも思ったが、ローマ字でメールを書くのもなんだか変だし、旅は始まったばかりだったし、だいいち、ぼくはひとりになるために、ここに来ている。

 名前のない、得体の知れないものを誰かに伝えるためには、えらく遠回りをしなければならない。ヴィトゲンシュタインのいう「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」というテーゼについて、ぼくは、理解はすることができる。しかし、ぼくは相変わらず多弁で、従おうと思っても抗うことのできぬ力でしゃべり続けるのだ。

 マレー半島を北上し、タイを1周し終えたくらいには、この「遠回り」はなんらかの終着点を迎えるのだろうか。