読書記録『信仰が人を殺すとき 下』(ジョン・クラカワー)

 

信仰が人を殺すとき 下 (河出文庫)

信仰が人を殺すとき 下 (河出文庫)

 

 モルモン教アメリカで長く続いている「新興宗教」である。こういう宗教モノのノンフィクションを読むと思うのは、(広義の)神の存在とか、宗教対立とか、そういうものというより、そこで描かれる「信者」たちが、必ずしも自分とは全く違う世界を生きているということではなく、そのコミュニティの外にいて他人事のように見ている我々とけっこう地続きの存在なのではないか、というより個人的な感想である。

 

オウム真理教を描いた村上春樹の『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』なんかも確か同じような視点で書かれていたと思う(ただし「共感」ではない)。

読書記録『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン)

 

スマホ脳(新潮新書)

スマホ脳(新潮新書)

 

 スマホをいじっているとバカになるから、デジタルデトックスをして運動しよう、という内容の本。運動はなんでもいいそうです。

 

この手の本で個人的に納得がいかないのが、運動がストレス耐性を上げるという主張。実験結果で「比較的」、「相対的」にそう結論づけることができるのは理解できる。だが自分の場合は日常的にランニングしていてもまったくもって仕事のストレスには勝てない、負け続けている、という点である。弱くてスミマセン。

読書記録『聖の青春』(大崎善生)

 

聖の青春 (角川文庫)

聖の青春 (角川文庫)

 

 早逝の棋士村山聖を描くノンフィクション。松山ケンイチ主演の映画は以前観たが、原作のこちらは初読。

 

なんというか、ひとつのことに自分の全存在をかけることの凄まじさを見せつけられ、読後ちょっと呆然としてしまう。将棋に命を賭すのは「狂気」なのかもしれないが、じゃあ「正気」ってなんだろう。どちらかの立場からどちらを一方的に批判したところで、どちらが勝ちとかそういう問題ではなく(そういう問題をゆうに超えて)、おのれのなかに存在する相反するものとどう折り合いをつけていくのか、という課題は常にある。命をかけてそこに挑む村山聖の姿に、正邪を超えた美しさすら覚える。

読書記録『ウイグル人に何が起きているのか 民族迫害の起源と現在』(福島香織)

 

アメリカが対中の外交カードとして使い始めてから、ようやく日本でも話にあがるようになってきた(主観です。まだ足りないのだろう)、新疆ウイグル自治区の人権侵害問題。ミャンマー軍による一般市民への弾圧と同じく、さすがに何も知らないではいられないかと。

 

数日前には日本の菅首相が米バイデン大統領と会談し、中国との緊張感がこれまでになく高まってきている。日本は中国に対する経済依存度も高く、かつ地理的にもほぼ最前線。簡単に割り切れる問題ではないが、近い将来極東に何かが起きるかと思うと、完全に他人事ではない。というか、まったくもって自分事だ。

読書記録『西南シルクロードは密林に消える 』(高野秀行)

 

 再読。角幡唯介氏が人生を変えた一冊と言っていたので。ちなみに彼らは早稲田大学探検部の先輩・後輩の関係。前回は2019年に読んでいる。

 

中国の成都からビルマ(ミャンマー)を通ってインドに抜ける「西南シルクロード」をゲリラとともに旅する珍道中。珍道中と書いてしまうと語弊がある。というのもこれは違法行為であり、中国の官憲に尋問を受けたり、捕まりそうになったりするかなりのシリアスな旅で、しかも密林を歩くという違法でなくても大冒険である。それでも珍道中と書いてしまうのは、軽妙な高野文体のなせるわざだし、このコミカルさこそ氏の著書の醍醐味と思う。

 

とくに人物の描きかたが秀逸で、どうしてここまで母語の異なるひとたちと深いコミュニケーションができるのかと舌を巻く。現場における言語能力が凄まじいと勝手に思う。あと、それを可能にする観察力と、人間に対する懐の広さ(偏見のなさ)が、この本を生み出しているのだろう。10代の頃に読んでみたかった本(その時はまだ存在しない本だったが)。

 

いまのビルマの惨状を高野氏はどうみているのだろうか。