車輪のうえ(1)

人間というものは、より大きな危険を怖れているときには、いつでも、より小さい危険のなかへ踏み入る勇気をもつものである、ひとつの危険を無限に怖れるときには、その他のもろもろの危険はまったく存在しないも同然である。
S.キルケゴール『死にいたる病』(ちくま学芸文庫、桝田啓三郎訳)

 人生におけるある日の充実度を、そいつがその日どのくらいの距離を移動したかという尺度で測るならば、この日のぼくは一生分の充実を味わったといえるのかもしれない。

 バスは昨夜、仙台を発った。3列並びのシートは他者との摩擦を軽減させてはくれるのだが、シートというユニットに大人の男が格納されている状況というのは、やはりふつうではない。窮屈。痛み。息苦しさ。しかし、おお、反作用こそ、生きていることの証明。

 これから生まれてくる母胎内の赤ちゃんと、ホルマリン漬けの胎児の標本じゃ、どっちが自由だろう?こう聞かれたら、少し考えて、ホルマリン漬け、と答える。可能性が、重い。ただ、在ること。有限と無限とを天秤にかけ、一向に平衡を保とうとしない揺らぎに苛立ちと焦りを覚える。寝返りをうっても限界があって、だいいち覚醒してしまっている。覚醒しているがゆえに、見えないものを見ようとしている。

 認識の傲慢。

 ……

 それぞれの世界には、それぞれの空気があって、決して同じじゃない。学校で習ったし、本で読んだ。テレビでも観た。だから知っている。

 ある程度の覚悟(あるいはちょっとした準備程度のもの)をする間もなく、熱帯の夜はぼくを襲った。香辛料をいきなり顔面に塗られたかのような。窒息に近い感覚を覚える。床屋で顔に乗せるタオルなら気持ちいいが、アレに食い物の匂いがくっついてる感じで。

 到着ロビーでは乗客を待ち受ける輩が、重なってくる。

 ホテルはもう決まったのか?
 予約してあるから。
 そこは高い!もっと安いとこ案内してやるよ!
 もう遅いからいいよ。決めたとこに行くから。

 日本を出る前に決めていたことがある。出発日、シンガポール到着時の宿泊先、ブリーフの枚数、あと、判断の根拠に曖昧な部分を残さない、ということ、徹底的に自分が主体である、ということ。

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*1:このテキストは数年前に書いたものを大幅に推敲し(そのくせ駄文だが)再構成している。事実をもとにしているが、虚栄心や自己愛によって大部分が歪曲されているので、ほとんどフィクションと考えていただきたい。