車輪のうえ(2)

 シンガポール到着が昼間であれば、空港で自転車を組み立て街まで出ようと思っていたのだが、夜だったのでタクシーでホテルまで行くことに。空港にはタクシー乗り場があり、ベルトコンベア式に並ぶ車両に選択の余地もなく順に乗り込む。

 ぼくはどこへ出荷されるのだろう。自分で選んでいるようで、決められているのかもしれない。

 インド人系の運転手は、怪しい若い日本人にとまどっているせいなのか、無口で神経質そうにみえた。ホテルとその宿がある道の名前をいったのだが、知らない、という。夜の初めての街での道を知らないタクシー運転手との邂逅は、怪しい若い日本人を不安にさせるには充分だったが、彼の外国人慣れしていない感じは、逆に「試行錯誤でなんとかたどりつけそうだ」という希望をぼくに与える。

 だが「試行錯誤大作戦」が遂行されることは、なかった。意外にも短時間でホテルに到着できた。東京の道を知らないタクシーの運ちゃんより、遥かにマジメだ。ふっかけられるのでは、という初海外旅行の警戒も虚しく、淡々と支払いを済ませ、トランクから自転車を降ろすのを手伝った彼は、また無表情のまま行ってしまった。

 代わりにホテルから現れたのが、明らかにチップねらいで、ベルボーイにはぜったいにみえない中国人系のオヤジだった。むかし香港映画で観たような、調子のよい感じの男で、若い頃のサモ・ハン・キンポーをどこか彷彿とさせる。笑顔で近寄ってくるアロハシャツのオヤジに、自分で運ぶから、いい、と断ってチェックインをする。

 これまた無表情のホテルの受付の男は、ぼくの大きな荷物をみて、なんだそれは、と尋ねた。自転車。これから、こいつでタイまでいく。男はたいして興味もなさそうに、ふん、といった。この瞬間、世界中でぼくに興味を抱いていたのは、まだ近くで待機している笑顔のアロハオヤジだけだ。

 なんというか、こういう孤独感が、ぼくは好きだ。心地がいい。時間の縦軸と空間の横軸。その、どこにでも存在できる。なにかの上や下や、隣、世界があってぼくがそこにがんじがらめにされている、そんな状態ではない。名前すら、失っている。

 なんだか、世界と「対等」であるような感覚。もちろん、それは錯覚ともいえるのだが。

 へんなところで、テンションがあがり、気をよくしたぼくは、輪行袋に入った自転車を勝手に持ち上げて部屋までついてきた若かりし日のサモ・ハン・キンポーを許し、2ドルのチップを払った。

 明日会う輩に表情はあるのだろうか、無いのだろうか。順序でいけば、次は表情のあるヤツだろう。