車輪のうえ(13)

 もっと単純な世界の見かたで生きられたら、と思う。

 善意は善意のままで、悪意は悪意のままで。与えるときは、虚飾を加えず、受けるときは、その裏に潜むものを詮索せず。素直に怒り、素直に愛し。それがときに、ひとを侮辱したり、肉体的に、あるいは精神的に、死に追いやったりしても。そのひとの不幸や幸福を、真剣に願い、傲慢にも、なおもそこにまだしぶとく存在するのだ。存在なんてものは、存在して「しまう」ものなのだ。

 旅先では善意も悪意も無邪気に降り掛かってくる。もうにどとこいつには会うことはない、と思えば愛(あらゆるたぐいの)も悪意もいちどきりで、あっさりとしたものだ。もちろん、結果的に死んでしまったり、現地で女の子と恋に落ちて永住を決意したりといった、そういう重大な結果のことではない。たとえ終結が重いものであっても、そこにいたるまでのターニングポイントが、じつに気まぐれで軽いものだということだ。

 インタンからイポーまでの道のりはおよそ、90km。ぼくのスニーカーを水浸しにして、悪臭を放つようにしむけたきのうのスコールでチェーンの油が流されたので、朝に注油。そのせいでやや、スタートが遅れ8:00の出発。

 マレーシア西側の幹線ルートを選択している今回の旅ではあるが、きょうの走り始めはメインの車通りが多いルートをやや外れ、快適なツーリング。しかしきょうも尻は跳ねる。尻は痛いが、道ばたで昇天なさっているミズオオトカゲ(Varanus salvator)とみられるなきがらが、ぼくのこころを弾ませる。ぜひとも生きている個体を見てみたい。

 前の日はスコールもあって、涼しいくらいの道のりではあったが、一転、この日は「死ぬほど」暑かった。店も少なく、思わずガソリンスタンドに止まって冷たいものを飲む。

 旅に出て2週間近くなるので、とりあえず安否連絡ということで秋田の両親への手紙を前夜に書いていた(マラッカにインターネットカフェはあったのだが日本語入力ができなかった)。暑くて疲れていたし、いい休憩になるだろうと通りすがりの郵便局(マレーシアでは「POS」と書いてある)に立ち寄る。
 受付のミザというマレー系の女の子が、日本に送る封筒の切手代をまけてくれる。自転車で旅をしている、といったからかな?

 おまけに、何か困ったことがあったら、と電話番号まで教えてくれ、暑さ(と旅の不安)にまいっていたぼくは、急激に元気を取り戻した。