車輪のうえ(6)

 ムスリムの国である。薄明のなまぬるい空気に、街のスピーカーからムカデのように文字が這い出てくる。夜中、蚊の羽音に苛まれた身としては、またムシかよ、という気分になる。この国の朝は、コーランで始まるのである。このムカデがうっとうしかったのは、このマレーシア初日だけで、あとはすぐに慣れてしまったのだけど。

 もう一泊して、ジョホールの街なかをブラつきマレーシアの入口を味わう。

 旅の始めに断っておくが、旅先ではけっこうモテたものだ。日本では男性のセックスアピールなどとは無縁なぼくではあったが、旅先では行く先々でさまざまな女性たちとの軽い心の交流があったのである。まあ、あくまでも、「軽い」、「心の」ではあるが。

 というわけで、マレーシア初日に行った観光案内所みたいなところのマレー系の女の子は、とても親切に観光案内なんかのパンフレットを集めて手渡してくれたし、そこの近くの昼食を摂った食堂でも、けっこう齢は上だったがキレイなアジアンビューティーと写真を撮ったりした。日本にいるよりも、かなり物怖じせずフランクに会話できる。

 今でもそうだが、あまり女の子(というか、会って日が浅いほとんどの他者)と積極的に会話する性格ではない。男尊女卑の思想に基づいてぼくのアイデンティティができあがったからではなく、どちらかというと「女尊男卑」ともいえる、東北の田舎者の内向的な性質によるものだと思っている。「キタナラシイ存在であるところの男子」であるぼくが、をなごなどとは会話してはならんのだ。うんうん。

 とまあ、冗談はこのくらいにしといて、何がいいたいかというと、アイデンティティの根拠から遠く隔たった(つもりでいる)旅人のような状態にある人間は「自由になれる」ということ。旅先ではかなりふつうにたくさんの他者たちと会話できたものだ。しかしいまになって思うと、非常に違和感を感じる心理状態。非日常のもつ、甘い快楽。

 ただ、そのときぼくが心地よい孤独感のなかで、自由を感じていたことは確かだ。いや、精確にいえば、自由ということは、こういうことなのかな、という漠然とした感覚に触れていた程度だと思うが。

 きっと自由と孤独との間にはグラデーションみたいなものがあって、どちらがより強調されてみえるかは、光の加減で違ったり、みるときの心理状態でだいぶ違ったりするのだろう。片方を欲しているときは、もう片方がイヤというほど強調されていて、なかなかツライものだが。

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 蚊を引き寄せておくために照明を点け、近くのスーパーで買った蚊とり線香を焚いて迎えた次の朝は、ムカデの這い出してくる音が前日よりも穏やかに聞こえた。

 今日向かう街は、旅人用の本には載っていない。ポンティアン・ケチルまでは60km程度であるが、やはり暑さ、街の情報が皆無という状況へのビビリから7:30には宿を発つ。

マレー半島の西側は幹線道路が走っており、交通量が多い。ルートの選択の際に、自然の多い東海岸とで迷ったのだが、東は雨が多く、街と街の間の距離が長いという状況から、けっきょく西を選んだのだった(のちに東を走ってきたノルウェー人と出会い、そうとうよかった、というハナシを聞いてかなりうらやましくなった)。

 ジョホールはやはりなかなか大都市らしく、周辺道路は大きく車も非常に多い。街を出るまでに排ガスと自動車のプレッシャーと格闘。このときの経験のせいで、「アジアの大きな街=排ガスと車の騒音」という固定観念ができあがる(まあ、あながちまちがってもいないが)。

 道ばたでは、ふつうにサソリが潰れている。信号待ちをしていると、バイクのオヤジがランブータンの束をぼくに差し出す。このフルーツとは、人生初の対面。北海道ツーリングの際に、サロマ湖で調査用で採れたエビを大量にくれたオヤジを思い出す。アイデンティティのない旅人には、お返しにあげるものはない。

 ただ、だまって笑顔のお返しをするだけだ。