日記:コロナ禍の記憶210107

去年はあまり記事をアップしなかった。そもそも読書記録くらいしかあげていなかったけど。昼休みに昔の自分の書いた記事を読んでいたら、自慰的な興奮を覚えた。なにかをアウトプットすることは、自分にとってたいせつなことだった。今年は打鍵をがんばろう。

 

日付が変われば1都3県の緊急事態宣言が発令される。引き続き飲みに行けないのは残念だが、その程度で済んでいるのはまったくもって幸福としか言いようがない。飲食・観光業、医療関係を生業をしているひとたちに比べれば、遥かに安全なところにいる。

 

会社はテレワーク推奨だが、自分はわりと会社に行かなくてはならず、公共交通機関を利用しなければならない。生活圏内の身内に高齢者がいるので、本来はもっと神経質であるべきだ。先にあげたような、もろにコロナの影響を受けてしまう立場のひとたちに比べ、真剣さに欠けていると言われても思うところはあるが反論できない。そんな個人的で飲み込んでしまえるような「思うところ」など、客観的にみればハナクソみたいなもんだ。

 

とはいえ、主観的なおのれの小さな世界ではそれなりにいっぱいいっぱいになっている自分がいる。仕事があること自体は感謝すべきなのだが、世界的なコロナ起因のモノ不足でイレギュラーでトリッキーな課題に忙殺されている。グチっぽくなってしまう。同僚たちは在宅ワークで楽に仕事をしているようにみえる(きっとそれぞれにそれぞれの大変さは抱えているのだろう)。「なぜ自分だけが」という孤独感にさいなまれる。安全なところから「オンライン」でいろいろ文句をいわれると精神的に追い詰められていく。

 

繰り返すが、そしてこれは自分を鼓舞・叱咤しているわけだが、自分はたいそう恵まれているはず、なのだ。プレッシャーと寒さで肩が凝り、背中や腰の筋肉が張っても、さいきん急激に髪が抜け出しても、自分は恵まれているほうなのだ。

 

年が明けたら忙しくて、とても寒くて風が強く、おまけに緊急事態宣言で、これまで積み上げたランのトレーニングがだいなしになりそうだ。深夜にいいわけしてるくらいなら、打鍵するか、あすのために寝よう。