雑感 中年の婚活と死

女子の「またこちらから連絡します」は、ほぼ死亡フラグである。

今年、37歳になってしまうので、じっさいに結婚について焦っている、というよりは、「焦らなければならない」のではないかという、なかば混乱に陥ったような状態にある。もはやこの年齢の、イケメンでもなく高収入でもなく、強烈な性欲を持っているとは言えない男に対する需要などないので、アホヅラしてハナクソほじっているばあいではなく、焦らなければ本気で結婚したいと思ったら時すでに遅し、なのではないかという危惧からである。正直、情けないことに結婚という制度や価値観を、真っ向から否定しきるだけの経験も自信も、人間的な蓄積もない。

というわけで出会いの機会をがんばってつくっているわけだが、なかなかどうして、というか、当然ながら、というか、難しいものがある。無理やり造られる人間関係なぞ、短期決戦の要素が強いから、求められるのは、伝聞によって認識できるそのひとの「スペック」、外見、話しかた、間のとりかた、LINEなどのメッセージアプリのスキル。それくらいのものである。

しかもそれらを総合した、いわば自己ベストのパフォーマンスを発揮したところで、タイミングや相性など、もはや自分だけではいかんともしがたく、かつ、そこに拘泥するだけ時間のムダ(若者の恋愛はここが楽しく肝要でおもしろいところなのかもしれないが)といったたぐいの変数が絡んでくるので、確率でいえば勝算はそもそも極めて低いのだ。勝ち負け、じゃないけど。

おれは、何を書いているんだろう。行ったことのない東京のクラブにでも行って、踊り狂いたい気分だ。

最初に、結婚に焦ってない、って書いたが、これはやせ我慢ではない。ただ、自分の人生をマジメに考えていないだけである。当事者意識が極めて低いのが、我が人生における大きな課題であることは前にもどこかに書いたかもしれない。これは致命的である。生物としての欠陥であるとすら思っている。

つまり、食物連鎖の頂点にあり、そうそう殺されることもない平和な日本に住んでいる身としては、個体として弱くても生きていくことはできる、ギリギリ金を衣食住分稼げていれば、自分だけのシェルターを確保して、ギリギリやり過ごすことはなんとかできるのだ(それにしたってかなりキツイが)。野生動物であれば、とうに淘汰されているような「弱い」個体が、おれのようにのうのうと生きているのである(そういうひとが生きていてはいけないと言っているのではない、こと自分についてのみ悲しいかなそんな思考になってしまうのだ)。

信号待ちの交差点で、そこに車が突っ込んできて自分が轢かれる事故をよく想像する。その時死んでしまっても、後悔とかないなー、って、深刻な感じではなく、冷めた頭で思っている。それにしたって、一瞬で死ぬっていう贅沢なのだから、ワガママなものだ。

こういう人間だから、件の「死亡フラグ」が立つのだろう。