コロナ禍の記憶

体重が落ちている。1月末のレース(フルマラソン)のときは62kgくらいあったものが、いまは59kg台まで落ち込んでいる。今年前半のターゲットレースであるUTMFや岩手のウルトラマラソンが軒並み中止になり、日々のランニングの時間と距離は激減。筋肉量が落ちたか、あるいは運動に必要な体の保水量が減ったか。

 

健康面では「運動不足」ということになるが、それ以外の原因で思い当たるフシはない。なのに体重が落ちていくのはなんだか重い急病を患ったようで、一種の心細さに似た怖さを感じる。

 

恐怖といえば、長い時間走ったり、強度の高いランをしなくなると、また今度やろうとしたときに、怖いというか、なにかに挑むような気持が消えてくる感じがする。

 

でも、ここからまたしっかりトレーニングをして、回復、維持に努めて心が折れることなく準備していれば、いつかまたマスクとか自粛とか関係のない、楽しく充実した気持ちになれるランニング生活が戻ってくるのだろうか。そうであってほしい。

 

コロナ対策で仕事は在宅勤務が基本となっているが、どうしても現物をみなければ分からないこと、さらに年間でもそういうことが突発的に起きやすい時期であることから、出社は多い。同僚はみんなスマートに在宅勤務をこなしているようにみえてしまい、仕事量がキャパを超えてヒーヒーいってる自分は、なんだかそんなひとたちが恨めしく思ってしまったりして、こういう愚痴みたいなのはよくない。と思ってまたウツウツする。

 

通勤のバスは気温も上がり花粉も減っているので、窓が大きく空いていて、感染リスクは多少なりとも落ちているのではないかと思っている。窓全開で、強く風が吹き込んでくるバスは、東南アジアとかそういうところの路線バスのようで、昔の記憶をくすぐる。東南アジアほどではないが、スクーターの排ガスの匂いなどは、記憶を喚起するちょうどよい「きっかけ」で、郷愁をさそう。

 

自粛生活の開始初期は自宅でビールをけっこう飲んでいたが、健康というよりも、酒量が増すとウツのリスクが高まると聞いて、最近は減らすべく努力している。それでも毎日350mlひと缶は飲んでしまうのだが。酒を飲まない方が調子がいいのは知っているのだが。ビールは、おいしい。外でまた飲めるようになったら、またバーに行ってアロマ感たっぷりのビールを飲みたい。