読書記録

先週末は電車での移動時間がけっこうあったり、夜眠れなかったりしたので、読書が進みました。しかし、本を読めるだけマシです。本も読めない精神やカラダの状態だったら、いよいよ逃げ場がない。


悲しみの歌 (新潮文庫)

悲しみの歌 (新潮文庫)

『海と毒薬』の続編。だけどだいぶトーンが異なる。『海と』のほうは、暗く重い。こちらは儚く、哀しい。前者は、戦時下という「非日常」を、後者は、戦後の「日常」が舞台。

戦時下の生体実験で捕虜殺害の現場に居合わせた医師、勝呂(スグロ)の煩悶を中心とし、新宿に生きる人たちの生(と死)を描く。正直、誰も(ふつうの意味で)救われず、赦されない。ただただ、哀しく、そして愛おしい、日常に潜むそれぞれの存在の、それぞれの生。現実には。そんな「愛おしい」なんて、俯瞰してものをみることなんて、できないことだけど。

神の視座、っていうのは慰めの方法論なのだろうか。しかし、それで充分だ。


沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

日本にかつてあった、キリスト教の禁令のハナシ。絵踏みとか。導入部は歴史的記述、といった趣で、そういう類いの文体が苦手なひとは入り込みづらいと思うが、主人公の司祭(ロドリゴ)による一人称から、三人称にかわるタイミング(第5節以降)で物語の世界に引き込まれる(と思う)。

ロドリゴが信徒に裏切られて捕らえられ、拷問を受け、最終的に背教するに至る、クライマックスのモノローグ、ダイアローグ(すでに先にキリスト教を諦めたフェレイラとの)の流れは圧巻。少し長いがよいので引用します。

「では、お前は祈るがいい。あの信徒たちは今、お前などが知らぬ耐えがたい苦痛を味わっているのだ。昨日から。さっきも。今、この時も。なぜ彼等があそこまで苦しまねばならぬのか。それなのにお前は何もしてやれぬ。神も何もせぬではないか」
 司祭は狂ったように首をふり、両耳に指をいれた。しかしフェレイラの声、信徒の呻き声はその耳から容赦なく伝わってきた。よしてくれ。よしてくれ。主よ、あなたは今こそ沈黙を破るべきだ。もう黙っていてはいけぬ。あなたが正であり、善きものであり、愛の存在であることを証明し、あなたが厳としていることを、この地上と人間たちに明示するためにも何かを言わねばいけない。
(pp.262-263)