関係と時間と

(前回の続き)春のユーウツは実にいろいろなことを考えさせてくれる(精確にいえば、「考える」というよりむしろ「気分」に近いもの)。花粉のせいで積極的に外には出ないということもあって、狭い空間で長い時間を過ごすというユーウツには格好の物理的な条件も整ってしまうし。

今年の3月で、転職してまる1年になった。(客観的に考えてみて)もともとそれほど社交的ではない性格ということもあって、なかなか新しい環境に慣れるのは大変だ。そもそも前職でも、周囲との連携がうまく取れるようになったかなあ、と実感めいたものを得られたのはおよそ5年働いて辞める直前くらいだったような。ぼくはこれまでの短い人生のある時点から、自分が人間関係においてなにをするにも「時間がかかる」種類の人間であることを自覚しだした。意思疎通がいちいち滞るのはなかなかつらいことだけど、もがいても疲れるだけだし、そこはグッとこらえて諦めず時間が経つのを待つのみだ(受け身なのが弱いとこよね)。

でもそれは自分にとって、必ず通過しなければならないプロセスであって、なんか功利的でイヤな感じに読めるかもしれないが、そんな数年のプロセスを経ていまだに付き合いのあるいまの大切な友人たちは、間違いなくぼくにとって重要で(ほとんど同語反復ですね)、関係の構築に長い時間がかかるという意味で、「在り難い」ものだ。ハイ、長ったらしい文ですね。零点。でも、ショートカットする気はいまのところ無いし、できないからこうなっている。無理に社交的であろうとする必要もあまり感じなくなった。

でも、「時間がかかる」とか、「待つ」とかいう部分を強調して書いてはいるものの、とはいえ自分だって「攻め」に転ずるタイミングが無いわけではない。まあ「攻め」といってもまくしたてて相手を閉口させるようなオラオラ系ではないし、わざと必要以上に口ベタであることを強調して微妙な空気を作り出すことで相手に気を遣わせ疲弊させる高等テクを使うわけでもない。

疲れたので続きはあとで(たぶん)。