読書記録『月と六ペンス』(サマセット・モーム)

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

角幡唯介氏の本で紹介されていたのと、最近ノンフィクションの読書が多いのでその反動で小説を読みたくなり。

 

ある地味な妻子ある中年男が、突然家族を捨てて消えた。恋人とともに妻のもとを去ったと思われた男は実は、絵描きになるためにそうしたのだった。「わたし」は身勝手なその男にイラつき、呆れ、怒りを感じながらも、その世界観には惹かれるものがある。なぜその男はすべてを捨てて画家を目指したのか。

 

世界と相対して、いかに生きるか、自分という存在をいかに生かすか。そういうことをシンプルに直球で描いた稀有な小説と思う。ちなみにこの画家のモデルはポール・ゴーギャンとのこと。

マスクしてトレッドミル

きのうは通っていたジムをついに退会してきた。たいしたことはないような気がしていたが、なにかを失ったようで、なんだか少し寂しい。

 

とはいえ、ジムに通って知り合いになったトレーナーさんがいるとか、友だちができたとかそういうことではなく、生活における選択肢がひとつ減ってしまったことへの単純な寂寥というのが近いかもしれない。のんきに「寂寥」とかいえるほどには、まだ現状の世界は立ち直る兆しもないのだが。

 

もともと今の家に引っ越したついでに、家から通いやすい距離にあるし、ランニングにおけるパフォーマンスアップのための筋トレ、悪天候時や花粉回避策を狙って入会したのだった。トレッドミルでのランニングは実走とは大きく違うが、代替の動作にはなるし、マシンを使った筋トレも、地味な自重の筋トレよりも楽しくいい気分転換になる。

 

最初の緊急事態宣言下で休館の時期があり、再開してもさすがにすぐには行く気にならず数ヶ月は休会させてもらった。ややコロナが落ち着いてきていた晩夏か秋ごろに、感染防止対策はどのようにされているのか、という興味もあり行ってみることにした。

 

館内ではもちろんマスク着用義務があり、トレッドミルで走る際も外すことはできない。その義務自体、理解するし遵守すべきだが、15分も走ると屋内でマスクをして走るという行為そのものに限界を感じた。屋外のように風は流れないので、マスクが吸う汗は乾かず、昔のバライエティ番組でストッキングを被った上から水をかけられるという演出があったが、まさにそれで、瞬時に呼吸困難に陥りパニックになる当時の芸人のリアクションが決しておおげさなものではなかったということを体で理解した。

 

ジムの感染症対策はしっかりされていたし、ジムも会社としてそこにお金を使わなければならないので、対策がしっかりしていればしっかりしているほど、そして以前よりも人が少なくなった(ように見えた)状態では、なんだかジムというありかた、ハコそのものに対して、「かわいそう」と思ってしまう自分がいた。その時は、今後もなんとか退会せずにいようと思った(通う頻度が減ってもつまり会費を払い続けるということ)。

 

だが昨年末から感染者が増え続ける状況になったことで、さらにジムに行くという選択肢は自分のなかでは完全になくなり、まったく行かないのに会費を払い続けるという失敗をした。さすがに後ろ髪を引かれる思いで退会をしてきた。もちろん自分の場合はトレッドミルが主な目的だったからそうなっただけで、マシンジムや筋トレ、スタジオでのレッスンやワークアウトがメインのひとは、退会せず続けるという選択をする場合が多いのかもしれない。

 

ある場所との関係性が切れてしまうのは寂しい。ひとつ世界が狭くなったような気がする。

読書記録『旅人の表現術』(角幡唯介)

 

旅人の表現術 (集英社文庫)

旅人の表現術 (集英社文庫)

  • 作者:角幡 唯介
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 文庫
 

 冒険作家・角幡唯介の雑誌記事、書評、対談などをまとめた一冊。彼の作家としてのデビューから、この本の単行本が出版された頃(おおむね2010年代前半)の思想・考え方をまとめて読むことができる(ちなみに、本人による巻末の解説では、当時と文庫本出版時点(2020年)とでは考え方が異なるとのこと)。

 

「人間は外と等量の内側をかかえていなければ外には向かえない。」(p.159)など、けっこうギクリとするセンテンスも多いが、下ネタへの傾倒も感じるられるようなコミカルなものもあって、硬軟とりどり散りばめられた本と思う。もちろん氏の本職の冒険本数冊を読んでからのほうが楽しめる。

 

 

読書記録『テロルの決算』(沢木耕太郎)

テロルの決算

テロルの決算

 

 1960年に起きた「浅沼稲次郎暗殺事件」を描いたノンフィクション。前から読もうと思っていたが、けっこう重厚でこたえそうなのでしばらく放置しておいた。今年に入ってノンフィクション熱が出てきて多読しているので、その勢いでこのまま行こうと。

 

当時の社会党委員長である浅沼稲次郎と、右翼の17歳・山口二矢日比谷公会堂の一点において悲劇にも交錯する瞬間を、それまでのふたりの生きてきた過程、周囲のひととの関わり合いを描くことで濃密に浮かび上がらせる。

 

「悲惨」な事件は日々起きており、毎日のニュースの中で現れては消える「消費」を繰り返している。だが、それぞれの事象には、われわれが感じ、想像できる以上の背景がある。スマホの画面を消費するよりも、なにかにいちいち深く潜り込むことが肝要だ。

読書記録『探検家の日々本本』(角幡唯介)

 

探検家の日々本本 (幻冬舎文庫)

探検家の日々本本 (幻冬舎文庫)

 

 探検家の読書エッセイ集。角幡唯介をひと通り読んで、興味を持ったら読むといいかと。彼が探検ということをどう考えているか、どのような世界の見方で生きているかを知る助けになると思う。角幡氏が書いてきたそれぞれの作品に対する理解や洞察も深まるだろう。

 

本書で取り上げられている本はいちいちおもしろそうなので、しばらくは読む本に苦労しなさそうだ。