所有

クラウドストレージ、Apple Music、Kindle、パブリックシェアリング……我々がじっさいにそうなのかどうか、ということを置いといて、世の中のリソースは、モノを持たない方向に動いているように思う。

 

モノを持つことへのコストと時間、場所がミニマイズされていけば、ぼくらはより「高次」の「所有」へと欲求が移っていく。カッコ付きなのは、それを所有というのはいささか不謹慎で、世のなかに容易には受け入れられないと思われるからだ。つまりそれは他者との共通体験、共通感覚の共有ということ。どんなに人間嫌いを自認する人間でも、他者がいて初めて自己が認識できる、というそもそもの原点を省みても、他者との共通感覚への欲求は、望むと望まざるとに関わらず、ぼくらに備わっているものだ。

 

しかしここまで来て次のことに気づく。それは人間がまだそれほどモノを個人で所有していない頃の、人間のふつうのありかただったのではないか。