読書記録『ゴジラの精神史』(小野俊太郎)

上を向いて歩こう」という日本の歌が世界的に知られているのは、きっとそのメロディーのシンプルさによるところが大きい (憶測)。みんなが覚えやすい、口ずさみやすい、親しみやすい。親しみが持てるというのは、たとえば自分(あるいは自分のまわりの世界)の哀しみや喜びをその対象に投影しやすいということだ。いい意味での脇の甘さ、入り込む余地がある。

不真面目なおれが大学の授業で覚えていることはほとんどないのだが、印象的に覚えているのは、社会学を研究していたT教授が言っていた「概念装置」ということだ。(誤解・曲解があるかもしれないが)ある社会に存在する、そこに生きる人びとのあいだに通底する基本的なものの考え方。習慣、常識、宗教、ナントカ主義。なにかをするとき、考えるときにそのひとが(意識的にせよ無意識的にせよ)拠りどころとする、形(かた)のようなもの。あるいは研究におけるひとつの世界観。最近の言葉で言うと「フレームワーク」に近いかもしれない。「上を向いて歩こう」は、言語よりもはるかに普遍性をもつ音楽というかたちで、そのとてもシンプル、というか原始的なものなんだと思う。

シンプルでシンボリック、少なくとも日本人にとってゴジラは、そういう多くの解釈や人びとの心のあり方を受け入れる存在なのだと思う(とくにここでは映画作品としてのゴジラではなく、ゴジラという存在について言っている)。『ゴジラの精神史』は、そういった解釈の羅列で、これまでゴジラに親しんできた者にとっては退屈だと思われる。ゴジラについてのウンチクを重ねたいひとにはいいかもしれない。で、けっきょく著者の言いたいことが伝わってこない。

余談。最新作のゴジラを観たのだが、エメリッヒ版と同様、ゴジラの背中に「哀しみ」がないので好きになれない。「ゴジラ」って日本語で言えばいいってもんじゃない。