読書記録『孤高の人』(新田次郎)

孤高の人(上) (新潮文庫)

孤高の人(上) (新潮文庫)

孤高の人(下) (新潮文庫)

孤高の人(下) (新潮文庫)

前に読んだ『単独行』の加藤文太郎をモデルにした山岳小説。

孤独から逃げようとするこころのはたらき、孤独に寄り添うこころのはたらき。自転車の単独ツーリングと今夏ぼくが実行したふたりでのツーリングとの対比が、単独行を基本とする主人公・加藤が後輩の宮村とパーティを組む場面で蘇る。ぼくは文太郎に共感できすぎて気持悪いです。

ぼくにとっては読後感は気持ちの良いものではないけど、好きな作品です。学生のときに読んでたらさらに悪い方向に向かってたなw

 歩き出すと矢部は口をきかなかった。この道はもう何度か歩いたことのあるように、足の運び方がうまかった。急坂をおりて鞍部に出ると、そのせまいところを、音を立てて風邪が吹き通っていった。風の音が水の音に聞こえた。矢部はそこに立止って左が槍沢、右側が天上沢であること加藤に教えてから、槍ヶ岳までの険阻な登りについて、ただ、ゆっくり歩けばいいだけだと説明した。加藤は矢部のそのいい方がひどく気に入った。そして、矢部は、本格的登山について、かなりの知識を持っているに違いないと思った。
 先頭に立った矢部はときどきふりかえった。加藤はその眼にうなずいた。矢部がふりかえる時には、そこにはなんらかの危険があった。道がくずれかかっていたり、浮き石があったり、時に、前方にすばらしい景色があったりした。休むことはなかった。ゆっくりだが、休むことなしに歩を運んでいく矢部のペースに加藤はいつの間にか巻き込まれていた。高度はぐんぐんせり上っていった。(上巻:pp.220-221)

こういう「呼吸」みたいなものを描写した文章、大好き。

 彼はこういうとき単独行であるということをつよく意識した。ひとりだから慎重になれるのだと思った。複数のパーティがこういう場合、道を失うのは、おたがいに誰かをたよっていて、絶対的な責任者の所在が不明確になるからだと思った。(下巻:p.258)

なにかにつけ、こういうことはよくあります。自戒を込めて。