洗濯はわたしの担当

家のトイレ、風呂の掃除、洗濯はわたしが担当している。

 

自らやらないひとは理解してくれないようだが、洗濯という家事は「全自動」化した現代の洗濯機を用いてもなお、「全自動」ではない(洗濯機のない時代から比べれば、相当ラクなことに異論はないが)。

 

それはまず、洗剤と柔軟剤を買うところから始まる。消耗が早いので、量的、コスト的な観点から大容量の詰め替えを買う。洗剤は蛍光剤や漂白剤の入っていないもの、柔軟剤は匂いの不快でないもの、あるいは少ないものを選ぶ。いちど好みのものができたら、基本的にはずっとそれを買い続けるが、たまに商品ラインナップからフェードアウトすることがあるので困る。

 

去年引っ越しをした際に、大枚を叩いてドラム式の乾燥機がついた洗濯機を買った。洗剤、柔軟剤の自動投入機能がついたものを選んだが、投入量をはじめに設定してしまえば、あとはなくなったら補充するだけなのでだいぶラクだ。このへんは「全自動」っぽい。時間のない平日の朝に切れるとイヤなので、最近は週末に定期的に補充するようにしている。

 

洗濯機と対峙し、はじめにやるのは乾燥機のフィルターのホコリを取り除くことである。これは毎回必要。

 

スポーツ系のウェアは基本的に柔軟剤を嫌い、乾燥機も使いたくないので、それ以外の柔軟剤を使う衣類と分けて洗う。柔軟剤を使う衣類も、乾燥機で乾かしたい(乾かせる)ものとそうでないものがあるので、洗濯から乾燥まで自動でするコースは選ばない。まず洗濯を終わらせ、乾燥機をかけないものを先に出して、自然乾燥させる。

 

乾燥機をかけるほうは、洗濯槽のなかで絡まり、脱水によってドラムの壁にへばりついた状態からちゃんとほぐしてあげる。この工程には、もちろん効率的に乾燥させたいという意図もある。ここで乾燥機をスタートさせる。

 

自然乾燥させるほうも、ただハンガーにかけたり、物干しに吊るしたりするだけではない。シワにならないように、かたちをととのえる、ちゃんと乾くように隣との感覚を空ける、必要に応じて裏返す、など、気を配る重要な点は多い(ちなみに洗濯を自分でしないひとは、ここの「干す」という行為のセンスが特にないように思う)。

 

平日はここまでやって、出勤。乾燥機から出すのは妻がやっている。自然乾燥のほうをたたむのは、半々くらいかな。

 

今後、娘が大きくなってくると、服を泥で汚してきたり、ポケットにティシューを詰めて帰ってきたりするのだろうから、ひどい汚れを落とす前処理や確認の工程が追加されることは容易に想像できる。

 

ほかには、定期的な洗濯槽のクリーニングとか、排水口のヘドロのようなゴミ取りなどもあって、そういう「全自動」を「全自動」たらしめるための機械との付き合いは、なかなかにおもしろいといえる。

 

 

 

鼻穴が焦土と化して

スギ花粉がキツい。

 

先週あたりから飛散のピークらしく、電車に乗ると笑えるくらいにみんな鼻をすすっているし、満員電車の耳元で強烈なくしゃみを何度もくらった。マスクをちゃんとしてくれていて助かったが、近すぎてそのたびに「ビクッ!」ってなった。

 

火曜日は寒い倉庫で終日作業して免疫力が弱くなったせいか頭痛も始まって、せっかくの春分の日もいっさい外に出ずベッドで寝て過ごした(重い花粉症の症状で夜の眠りが浅いためか、昼間がっつり寝た)。

 

きょうは在宅勤務だったので、朝のゴミ捨てを除いては家にこもっていた。夜は走れたら走ろうと思っていたが、花粉への恐怖と寒さから、あっさり諦め(逃げ)、温かい風呂に入った。

 

2月は長い距離のランニングができていて、コロナにかかった1月のマイナス分を取り戻せそうな気配もあったが、3月に入ってまったくダメになった。4月に走る予定だった多摩川ウルトラマラソンも準備不足なのでエントリしないことにし、いまは6月の岩手に出るかどうか迷っている。とりあえず宿は押さえた。

 

岩手は、この週末からランニング習慣を復活できるかにかかっている。

 

寒さはそれほど苦ではないのだが、花粉症とのコンビネーションになると足し算というよりも掛け算的に「イヤさ」が増幅して、体が拒否反応を起こす。去年まではそれでも、克服して走る習慣を保っていた。今年はなにが違うのだろう。加齢を言い訳にしたくはないのだが。

 

とりあえず鼻の穴の皮膚が炎症を起こしていて、鼻毛を抜くと過度に痛い(抜いてはいけません)。

アウトプットを怠るとへこむほど言葉が痩せていく

久しぶりに投稿する。

 

前回のアップは2023年の1月にあげたもので、それっきりということになる。いいわけではないが(そもそも誰にいいわけする必要があろう)、直後に娘が生まれて、けっこうこういうパソコンに向かう活動がなくなってしまっていた。

 

仕事ではもちろんテキストを書くことは書くが、(職種にもよると思うが)ビジネスメールは簡潔明瞭であることを持って良しとされるカテゴリであって、もちろん自分なりの文体めいたものはあるが、そこで交わされるバリエーションはそれほど多くなく、けっきょくはいくつかのパターンに収斂してしまう。

 

なので、自分の場合、語彙や表現のバリエーションは、プライベートでのインプットとアウトプットそれぞれを継続することで維持されていたのだ。とくにこの1年で痛感させられた。

 

ふつうに会話をしていても、言葉が出てこない。歳のせいもあるかもしれないが、瞬発力が明らかに衰えているのがわかるし、「熟考」の末に出てくる言葉も陳腐だ。

 

娘の相手をしているのは、疲れるが楽しい。楽しいが疲れる。

 

集中力の乏しい自分は、娘が昼寝する束の間とか、妻が娘の相手をしている間を有効活用できない。インターネットをダラダラ眺めてその貴重で短い時間は終わる。娘が寝たら、またダラダラしてしまう。娘は朝6時には起きる。自分だけの時間を作ろうとしたら5時には起きないと。

 

子育てとランニング習慣の維持とか、いろいろ書きたいことがある。おっと、娘を風呂に入れる時間だ。では、また今度。

読書記録『会社を変える分析の力』(河本薫)

 

久しぶりのブログアップ。通勤時間がないと、やはり読書量は大きく減る。だが本は買ってしまうので、未読のものが貯まっていく。

 

ちょっと前に買った本書。積読状態になると何が良くないかというと、たまにその本を選んだきっかけを忘れる、ということだ。この本も、はて何だったろうかと思ったが、いまいち思い出せない。さておき、読んだからにはアウトプットもしておこうと新年のイベント的に軽く奮い立ち、久々にブログに書いている次第。

 

「会社を変える分析の力」とは、分析の方法論ではない。分析をする明確な目的をしっかり捉え、ビジネス上のインパクト(影響の大きさ)や論理性(自他ともに納得感を得られる)を考慮した上で、会社の意思決定に貢献する。さらにその意思決定により、ビジネスとしての成功・改善(売上や収益の向上)まで、当事者として関与し続ける胆力があること。だいたい要約としてはこんな感じ。

 

最近たまたま某ビジネススクールの単科に通って定量分析をやっていて記憶に新しいこともあって、言っていることは同じと感じた。そもそもの目標・目的の確認、データによる仮説の設定と検証との繰り返し。事業に与えるインパクトの大小は常に意識。分析の結果は、データや計算結果の羅列ではなく、当事者に言語でシンプルに分かりやすく伝えることができなければならない。また、分析を当事者に納得させるだけではなく、その改善が実際に現場で使われるまで関わり続けること。

 

コンサルティングの仕事って、こんなことをやってるんだろうな、と思いながら読んでいた(やったことがないので)。これで金を稼いでいるのだから、コンサルの人たちは相当の精神力・体力があるのだろう。自分に足りないのは、そのへんの胆力。そのプロセスにゲーム的な楽しみがあると思えば興味をそそらないわけでもないが、やはりそれを成し遂げる持続力と集中力には自信を持てない。

 

初読ではいまいちイメージしにくい感じですが、「ビジネスにおける分析」に興味があれば、読む価値ありと思います。

読書記録『クォン・デ もう一人のラストエンペラー』(森達也)

 

帝国主義時代の末期、フランスと日本とのあいだで「翻弄」され揺れ動く、ベトナム最後の王族クォン・デを取材したノン・フィクション。ただし、筆者の想像による当事者間のダイアローグなどもあって、純粋で客観的なドキュメンタリーはあり得ないとする作者のスタンス(複数の著書を読んでも一貫している)は貫かれている。森達也氏は一連のオウム真理教裁判や、佐村河内守ゴーストライター事件などを扱った映像ドキュメンタリーで有名。

 

内容は、「日本人が知っとくべき歴史」と感じる。大日本帝国の植民地政策については韓国併合や台湾などは歴史授業でも習うが、「仏印進駐」で括られる日本軍の動きとその前後のできごとはあまり語られることはない。ロシアとの戦争に勝利した「アジアの盟主」たる日本に潜伏し、フランスの支配からの独立の機を待ったクォン・デは、ベトナムにおいても現代は忘れられているらしい。共産党にとっては都合の悪い存在で、一種のタブーとなっているからだ。

 

現在のロシア-ウクライナ戦争もそうだが、こんなふうに、歴史の波間に埋もれてしまう個人は多い。その象徴として、少なくとも日本人とベトナム人は忘れてはならない存在と思う。日本の墓地にもその遺骨の一部が埋葬されている(埋められている)とのこと。機会があればお墓参りに行きたい。